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設備の近代化と量産化

創業30年を迎え、二代目社長吉田順二が就任しました。菓子作り一筋で職人気質な一面を持ち、カステラなどの“やきもの”においては、そのセンスに右に出る者はいないと言われるほどの腕の持ち主でした。また、先代社長の傍らで経営者としても才気を養い、自身の辛抱強さと柔らかな人柄で統制経済の苦難の中、工夫を凝らし社の発展に尽力しました。

就任後、品種拡大と製品の品質向上を目指し、近代設備の導入による量産化に取り組みました。当時専務だった吉田高章を菓子業界視察のためヨーロッパへ派遣し、先端の新しい視野を会社に取り入れていきました。そして、自動クリームサンド製造機やソフトビスケット製造機を次々と導入し、工場や機械設備の近代化を加速させていきました。

お菓子のブルボン

そのような中、1957年に社を左右しかねない大きな決断をします。それは、ビスケット・クッキーの大量消費時代を予測した専務の提案による、「バンドオーブン」の導入です。「バンドオーブン」とは、ビスケットやクッキーを焼き上げるベルトコンベヤー式のオーブンで、現代の製造には欠かせない設備です。当時はまだ珍しく、年商10億円にも満たなかった会社にとっては、導入に社運を賭けるほどのできごとでしたが、量産化の体制づくりを進めてきた吉田順二は、会社を国内でも指折りの企業にさせるため、導入を認めたのでした。

また、1961年にはその薄い形状を”天女の羽衣”に例えた米菓「羽衣あられ」を発売しました。「世の中で一番薄いあられ」を目指して開発し、隠れて食べてもわかってしまう国産もち米の風味、カリっと心地よい食感、ほどよい塩味と後引くうまみで今もなおご好評をいただいています。現在販売している商品の中で最も長く販売している商品です。

機械設備の近代化と量産化体制の推進、「羽衣あられ」の発売などにより、この頃の年商は20億円を超える規模になりました。1963年には、柏崎市・荒浜地区に現在の柏崎工場を新設し、バンドオーブン2基や輸入包装機5基を備えた一貫した増産体制が確立し、生産ラインの合理化が可能となりました。

1964年、次代へのレールを整えた吉田順二は退き、専務だった吉田高章が新しく社長に就任しました。ビスケット設備のオートメーション化を図るとともに、日本で最初に米菓生産のオートメーション化を行いました。

専務時代の1961年に高級感がある洋風の菓子、飲料、食品にマッチするよう「ブルボン」という商標を出願。1962年に使用を開始し、晴れて「ブルボン」というブランドが誕生したのです。

それからは、「ブルボンビスケット」「お菓子のブルボン」のように洋風菓子商品の総称として徐々に範囲を広げ、ブランドの浸透を図っていき、高級感のあるビスケット商品の量産化や、他社と差別化した独特な商品を次々と発売、それらをお手頃価格で販売することで徹底した顧客重視を貫きました。
1965年に発売したミルク風味のホワイトクリームクッキー「ホワイトロリータ」や、繊細なクレープクッキー「ルマンド」のヒットなどもあり、新工場の建設、営業拠点の拡充を図っていったのもこの時期です。

また、会社規模が大きくなるにつれ経営の基準作りや組織作りにも力を注ぎ、自身の学びの中から導き出した「発展八訓」や、「利害相反する人を含めて、集団の生存性を高める」という経営理念などを制定し、今日につながる当社の経営基盤を確立していきました。
1980年を迎えるころには、年商600億円に迫る規模となり、製菓業界で押しも押されもせぬ企業として成長を遂げていったのでした。

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