沿革
ブルボンの前身は、新潟県柏崎市内の和菓子の老舗「最上屋」から発祥した「北日本製菓」であり、その創業者である吉田吉造は関東大震災の影響から地方への菓子供給が全面ストップした窮状を見て、「地方にも菓子の量産工場を」と決意、大正13年に柏崎駅前でこの事業を興した。資本金10万円でビスケットを製造。
国産機ではあるが、ドロップの製造を開始。
ビスケット2号機設置。ドロップス機を輸入し増産体制を目指す。資本金20万円となる。
チューインガム、タバコ菓子を発売。東京販売所を開設。国鉄、北日本提案のコンテナを採用。柏崎〜秋葉原、第1号輸送される。
米菓の製造を始める。
野戦食、カンパン、粉味噌、甘味品を陸軍に納入し始めた。
北日本商事(株)設立、後に北日本農事と改称(農畜産、漁業を行う)。さらに、柏崎飛行機工業(株)を設立したが戦後解散。
昭和17年より軍需品の生産を行うが終戦により打ち切り、10月より民需品工場転換許可され、引き揚げ者へのカンパン、粉食を生産。
育児食ビスケットの生産を開始。
味噌、醤油類、キャラメルの生産を開始。
北日本食品工業株式会社に社名を変更。
金平糖、チャイナマーブルの生産を開始。
資本金4,000万円となり、新潟証券取引所に株式を上場。
ビスケットバンドオーブン1号機設置稼動。
羽衣あられ発売。
(翌年に現在の袋仕様品で発売)
豆菓子部門に参入。
資本金1億円。柏崎市郊外に荒浜工場を新設。(現・柏崎工場)
(三代目)吉田高章、社長就任。
ホワイトロリータ発売。
日本で最初の米菓のオートメ化に成功。
うすやきの量産体制が確立した。
東京出張所開設。
本社を荒浜工場に移転。
大阪、名古屋出張所開設。
巻工場を新設。(現・新潟工場)。
神戸、横浜出張所開設。
レーズンサンド発売
年商86億円。
全国営業網の整備が始まる。
年商114億円。
大潟工場を新設。(現・上越工場)
ルーベラ発売。
年商147億円。
資本金2億5,000万円。
年商200億円。
創業50周年を記念した超大型商品、「ルマンド」発売。
贈答用の高級クッキーを量産化することにより、最高月商20億円を売り上げる大ヒットとなった。
年商405億円。
和島工場を新設。(現・長岡工場)
150円パッケージビスケットが大好評を博す。
資本金5億円。
年商405億円。
ポテルカ発売。吉田奨学財団を設立。
チョコリエール発売
年商470億円。
営業網が全国100余か所に拡大。
バームロール発売。
年商508億円。
ピッカラ、エリーゼ発売。
年商565億円。
味ごのみ発売。
年商638億円。
月潟工場を新設。(現・新潟南工場)
モンドセレクションでピッカラが金賞受賞。
年商684億円。
チョコレート部門に参入。
シルベーヌ発売。
グミ市場に参入。
「フルーツゼリー」発売。
年商775億円。
キャンデー部門に参入。
「ピュアカット3品、キャンドゥ2品」発売。
チーズおかき発売。
年商761億円。
キュービィロップ発売。
チョコあーんぱん発売。
ビット発売。
年商745億円。
ファミリーサイズ発売。
年商805億円。
平成元年6月1日より、長年「ブルボン」の商標で親しまれていた、
ブランド名と社名を統一し「株式会社ブルボン」として新たにスタート。
ハイショコラシリーズ発売。村上工場を新設。
(平成元年12月より、3月決算に変更。)
シリアル市場に参入。「コーンフレーク」発売。
年商952億円。
羽黒工場を新設。(現・鶴岡工場)
資本金10.3億円に増資。
ガム市場に参入。
年商1,062億円。
小麦粉せんべいの量産化。
アルフォート発売。
年商1,004億円。
近年の飲料水の水質悪化を憂え、創業からの念願であった社会貢献の2本目の柱として天然名水とイオン水を発売した。工場での生産開始日が阪神淡路大震災と偶然重なり、急遽救援物資として生産品を送ることができた。デザート部門に参入。
年商912億円。
吉田 康(現)社長、平成8年1月就任。
粉末ココア発売。
プチシリーズ発売。
めざましクラシックスの支援を開始。
年商856億円。
豊浦工場を新設。(現・新発田工場)。
コミュニケースガム発売。
(株)レーマン、ブルボングループに加わる。
飲料ラインでISO9002認証取得。
年商912億円。
プチポテト発売。プチシリーズ(ビスケット・米菓)にスナックが加わる。
ダイオキシン対策として包装材料を全て非塩素系に変更。
社員の制服をペットボトル再生素材使用へ切り替え開始。
年商931億円。
東京証券取引所市場第2部へ上場。
本社、本社工場(現・柏崎工場)、駅前工場でISO14001認証取得。
機能性食品「ジーアイドクター」発売。
板チョコ市場へ参入。
「アルフォートミニチョコレート」発売。
年商841億円。
行動規範・行動指針の策定、ヘルプラインの設置。
環境報告書の発行。
五泉工場を新設。
年商862億円。
商品開発センター(現・試作センター)設立。
大潟工場でISO14001の認証取得。
健康科学研究所(現・先端研究所)を開設。
自動販売機「プチモール」の展開を開始。
年商917億円。
羽黒工場で厚生労働省の総合衛生管理製造過程(HACCP)の承認。
豊浦工場でISO22000の認証取得。プライバシーマークの認証取得。
トゥルーフード賞受賞。
年商935億円。
特定保健用食品の表示許可を「ミルクココア繊維習慣」2品で取得。
ニュージーランド産のボイセンベリーを使った、
「ボイセンベリーシリーズ」発売。
中華人民共和国上海市にて
販売会社「波路梦(上海)商貿有限公司」を設立。
「新潟県中越沖地震」での義援金寄付。
年商965億円。
パリ伝統の高級ショコラトリー「アラレーヌアストリッド」の
日本での第一号店をオープン。
「波路梦(長興)食品有限公司」でプチシリーズ6品の生産開始。
心と体の健康づくりと災害支援活動の貢献をテーマに、
「ブルボンビーンズドーム」のネーミングライツを取得。
年商1,013億円。
ニュージーランド産のボイセンベリーを使った、
「酢てきスタイル」発売。
新潟県内の連結子会社9社を吸収合併。
年商1,021億円。
スローバー発売。
エチゴビール㈱のグループ会社化。
アーモンドラッシュが日本食糧新聞社主催 食品ヒット大賞 優秀ヒット賞受賞。
ブルボンウォーターポロクラブ柏崎の設立を支援。
年商1,024億円。
「東日本大震災」での義援金寄付。
フェットチーネグミが日本食糧新聞社主催 食品ヒット大賞 優秀ヒット賞受賞。
新潟薬科大学との包括的連携協定を締結。
米国ワシントンD.C.にて「BOURBON Foods Corporation」を設立。
年商1,024億円。
当社を含む協議会による“モーダルシフト等推進事業”が国土交通省認定事業となる。
経済産業省からグリーン物流パートナーシップ優良事業表彰を受ける。
濃厚チョコブラウニー発売。
「ドナルド・キーン・センター柏崎」の設立を支援。
年商1,038億円。
新潟南工場で製品倉庫増築。
ポップコーンの市場に参入。
年商1,049億円。
新本社ビル就竣工。
チルド事業に参入。
「スライス生チョコレート」発売。
年商1,095億円。
冷菓事業に新規参入。ルマンドアイス発売。
水球男子日本代表に当社社員4名選出。リオデジャネイロ五輪に出場。
年商1,129億円。
「ブルボングループ健康宣言」を制定。
<スライス生チョコレート>が日本食糧新聞社の食品ヒット賞で「優秀ヒット賞」を受賞。
再生医療研究用増殖制御基礎培養液<Xyltech(キシルテック)BOF-01>の開発、販売により、再生医療向け試薬事業へ新規参入。
スポーツ庁より「スポーツエールカンパニー」の認定を取得。
年商1,176億円。
経済産業省と日本健康会議が共同で認定する「健康経営優良法人〜ホワイト500〜」を取得。
<ルマンドアイス>が日本食糧新聞社の食品ヒット賞で「優秀ヒット賞」を受賞。
年商1,175億円。
スライス状の新感覚食材〈スライスキッチン〉シリーズを発売。
毎月24 日を「ブルボン・プチの日」、毎年6月24日を
「プチクマの日」に制定。
ルマンドのおいしさをギュッと凝縮した〈ひとくちルマンド〉を発売し、日本食糧新聞社の食品ヒット賞で「優秀ヒット賞」を受賞。
新潟大学との組織的な連携協定締結。
年商1,175億円。
新型コロナウイルスの根絶祈願と、感染拡大の状況を後世へと伝えるため、「アマビコ・アマビエの碑」を建立。
日本製素材を使用したマスクの自社製造を開始。
年商1,184億円。
自社製造マスクの販売を開始。
発酵バターを使用した、通常のルマンドよりリッチな味わいの〈贅沢ルマンド〉を発売。
年商944億円。
北日本羽黒食品株式会社を吸収合併。
魚沼工場竣工。併設する雪室設備で熟成させた
カカオ豆を原料に使用した〈雪室ショコラ〉を
発売。
年商973億円。
バウムクーヘン、プチケーキ等の製造・販売を行う株式会社マルキンの株式を取得。
発売20周年を迎えたアルフォートミニチョコレートシリーズにサブレ生地を組み合わせた〈アルフォートミニチョコレートサブレ〉を発売。