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設立のきっかけ~誕生まで

1923年(大正12年)~1955年(昭和30年)

吉田吉造

1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生し南関東から東海地方まで広範囲の地域が被災しました。当時、関東近郊しかビスケット工場がなく、新潟県への供給が全面的に停止しました。新潟県柏崎市で菓子店「最上屋(もがみや)」の店主をしていた吉田吉造(よしだ きちぞう)が、その状況を見て「地方にも菓子の量産工場を」と1924年(大正13年)1月、個人経営による北日本製菓商会を創業したのが当社のはじまりです。

北日本製菓商会は柏崎駅前の380坪の土地を買い、日産500貫の生産能力を有した大量生産工場で全国へ販路を拡大し、当時「100匆(※)22銭のビスケットが、北日本製菓商会が出来たことで18銭になった」と評されるほど全国市場へ影響がありました。
(※1貫=3.75kg 1匆=3.75g)

1924年(大正13年)9月25日、操業開始して間もない工場が火災で焼失し、大きな打撃を受けましたが、柏崎市内の有志の協力・支援のもと、1924年11月20日、資本金10万円で北日本製菓株式会社(現・当社)を柏崎市駅前に設立しました。設立間もない頃の生産品目はビスケット、キャンデーなどでした。

北日本製菓のビスケット・キャンデーは日本全国、樺太、台湾、朝鮮へも供給されました。1931年(昭和6年)10月チューンガム製造開始、1932年(昭和7年)東京販売所を設立、1934年(昭和9年)米菓製造を開始するなど生産品目を拡大していきました。

1944年(昭和19年)7月柏崎市内を流れる鵜川の氾濫により全工場が最大1m50cm浸水、1945年(昭和20年)7月またしても鵜川・鯖石川の洪水により全工場が浸水し大きな損害を受けました。1947年(昭和22年)には近隣住宅の火災から全工場の6割を焼失しましたが、残った工場で生産を継続しながら工場の再建を図りました。1952年(昭和27年)6月にも工場内からの出火により工場1棟が全焼しましたが、即座に3倍の能力を持った設備を導入、従業員が作業延長で協力するなどして再建に努めました。

消費地である関東・関西から距離のある新潟県柏崎市に工場を持つ当社にとって、輸送は常に頭を悩ませていました。海外や全国から原材料を工場まで輸送する、製品を関東・関西はじめとした全国へ供給するという輸送面において日本海側の工場は極めて不利であったためです。運賃も当然ながら、輸送中の製品破損により大きな損失が発生していたのです。創業者である吉田吉造は鉄道による貨物輸送を改善するべく1953年(昭和28年)5月、当時の国鉄などに意見書の提出、陳情を行い、国鉄の協力を得て輸送運賃の割引、柏崎駅を日本海側で初めて大型1トンコンテナの指定駅として認めてもらうなど、当社の発展に大きく寄与しました。

工場設備の増強、新しい分野への挑戦など資金調達が必要だった当社は1954年(昭和29年)4月1日、株式を新潟証券取引所に上場しました。初値は58円(額面50円)でした。柏崎市で設立された企業として初めての株式上場でした。
1954年(昭和29年)6月、創業者である吉田吉造が死去、二代目社長として吉田順二が就任し、新しい体制へ進んでいくことになりました。

成長編へ続く

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